
東方Projectシリーズでお馴染み、上海アリス幻樂団の主催ZUNさんとUNDER TALEのトビーさん、Onion Gamesの木村さんの鼎談記事が面白かった。
インディーズと同人の境界
似たようなニュアンスで使われる2つの言葉だけれども、どうも違いがあるようだ。
資本や人員などのリソースが沢山ある企業などがゲームを開発するが、それほど大規模なリソースなんか要らない、少人数でゲームを作るぞというのがインディーズ。
だから、インディーズの目標としてはキチンと売れる物を作る、利益をあげることが大事となる。
一方で同人は、「好きな物を作っている自分」が中心にある。なので、究極のところ作品を完成させる必要や利益をあげることを目的としていない。
物凄くざっくりとした区分けだが、そういう違いで区別するのが1つの見分け方だろう。
なので、ゲームの開発スタッフがプログラミングや音楽開発などのノウハウも理解して、企業のやり方と合わないから退職して、個人ないしは少人数のスタッフを集めてゲーム開発をして生計を立てるというのはとてもインディーズ的だし、どんどん増えて良いと思っている。
昔は小売店に置いてもらわなかったらどうしようもなかったが、今ではダウンロード販売やSteamなどで売ることができる。
企業を敵視しているわけではなく
ただ、企業を敵視しているわけではなくある程度のクオリティが維持されたゲームを定期的に供給してくれる企業だってありがたい存在なのだ。それを忘れてはいけない。
ただ、企業としてできないことというのはどうしてもあるし、そういった手の届かないところに商機を見つけて勝負できる人が増えていくと、自由な人がどんどん増えていくのではないかなと思う次第だ。
ゲームを開発する人に企業で働くのが合うという人も合わないという人も居るだろう。
選択肢の無い時代なら、企業の風土が合うか合わないかがゲーム開発の適正となってしまっていたが今は選べる時代だ。
企業で働く方が合っている人は企業で働きながらゲーム開発をする。企業が合わないという人はインディーズでゲーム開発をする。
自らを由(よし)とする。自分を手段とする。自由の実践だ。
定期的に作品を世に出すということ
東方はほぼ毎年、新しい作品を作っている。これは本当にすごいことだと思う。
ZUNさんによれば、規模をやたらと大きくはせず「何時も通り」を心掛けているとのこと。
ZUN氏:
いまでこそあまり言わなくなりましたが、僕は昔、「『東方』はシリーズではない」と、“アンチシリーズ”というような言いかたをしていたことがあります。
なぜならシリーズにしてしまうと、最新作は前作を超えなくちゃいけませんから。2作目、3作目と続けるうちにきっと行き詰まるから、早い段階でそうではないようにしようと。僕としては、「前作よりもおもしろくなくてもいい、続けていたほうがいい」と強く思ったんです。そのために、「毎年規模を大きくしない」、「自分のゲームは同じ規模で作っていく」と考えるようになりました。 電ファミニコゲーマー
技術的なブラッシュアップや画面の見やすさなどは作品ごとに改良や改善などすることもある。
けれども、他の対談記事などで折に触れて述べていることだが「次回作はどんな感じの作品ですか」と聞かれれば、「いつも通りの東方です」という答えが決まって返ってくるくらい、いつもとおりを心掛けている。
改めて思うけれど、継続は力だ。
続けるということは本当に難しい
何時もとおりで、毎年規模を大きくしないというのは、数字で例えるなら毎年、毎日「1」を積み重ねるということだ。
ところで、どこかで読んだ記事の受け売りだが、毎日「1」を積み重ねると共に前日の1%を上乗せして積み重ねるようにすれば、複利の効果でより良くなれるのではないだろうか。
私は実は後者の複利で毎日何かを積み重ねるようにしよう派だった。
が、この数年、これを実践して思い知った。
毎日「1」を積み重ねることの何と困難なことか。
「1」を積み重ね続けることは決して停滞などではなかった。