何故、数学を学ぶのかについての一考察「パターン認識力」

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何故、数学を学ぶのかという問いに対しては色々な回答が出ていることだろう。

学校の先生や塾の先生に聞けば、数学を通して論理的な思考力を養うためという回答が返ってくる。

私なりに数学を学ぶ理由について考えを述べたい。

何故、数学を学ぶのか

結論を最初に述べる。数学を学ぶ理由は、パターンの認識力を高めるためだ。

私は数学とはパターンを学ぶ学問だと考えている。

自然現象でも社会現象でも、周囲を観察すると様々なパターンに溢れている。

例えば1年間の気候。日本は四季があり、それぞれの季節に応じて気候も変われば良く育つ植物も変わる。台風などが発生する時期も概ねパターンに沿ったものとなっており、そのパターンを理解した上で農作業の計画、経済計画を立てる。

周期を発見することはパターンを見つけることと同義だ。

パターンを見つけて、その上に更に豊かな理論を構築すると社会及び人はより豊かな生活を享受できるようになる。

人類の歴史はパターンの発見の歴史だと言っても良いかもしれない。

発明の歴史ではなく発見の歴史

私たちは自分の知らないことを認知することはできない。

これはこういうことだったのか、と自分が理解をしたときに始めてそれを認識することができる。

面白い小話を紹介しよう。

マゼランの世界一周の冒険のさなか、彼らは南アフリカのフェゴ島に寄った。

しかし、島民たちはマゼラン船団の一行がどのように島にやってきたのか全く分からなかったという。

彼らはカヌーを使い沖まで出て漁をして暮らしていた。だから、カヌーなどのような海に浮かぶ乗り物を知らなかったわけではないし、目が悪いわけでもない。

この話は、人は自分が知らないものは明らかに目の前に存在しているに係わらず、認識することはできないことの例として挙げられることがある。普通に考えれば、船団は霧に隠れていたため目に入らなかったというのが一番しっくりきそうな話しではあるのだが、割とこういう事例は多い。

例えば、UFOやUMAについてもそうだが、誰かが見たと言い出し、名前が付いたとたんに大勢の目撃例が発生する。

閑話休題

少し話が逸れたが、人はパターンを知らないと、ものを十分に見ることができない生き物なのだ。

より原始的な例で考えてみよう。

沢山のリンゴを集めて、皆で分け合って食べようと思う。しかし、リンゴを見比べてみると明らかに臭いと色がおかしい個体がある。どうやらその個体は腐ったもののようだ。

この程度の腐った個体を見つけ出す作業にしても、「美味しいリンゴ(食べられるリンゴ)のパターン」を知っていることによって始めて認識ができるのだ。

昨今、野菜ソムリエとかそういう人がいることはご存じだろうか。どういう野菜が美味しいのかなどを教えてくれる人なのだが、彼らはまさにそういうパターンの認識に長じた人たちということだ。

パターンの認識、把握が出来るようになると応用の幅が凄まじく広い。

私も含めて多くの人が関心を持つのはお金のことだろうが、お金稼ぎにしてもまさにパターンの発見といっていい。

どういう時には何が売れるのか。何の価格が上がるのか。そういうパターンの認識に長じた人たちが、お金稼ぎを制している。

どうして学校の数学が面白くないのか

学校で扱う数学が面白いと思えないのは、抽象化が進んでパターンの認識力をあげるための訓練だからだ。訓練と言うのは大して面白くないのだ。

これは、何をしているのかが分かると数学が面白くなるという類の話ではない。

筋トレに例えれば、どんなに続けたところで筋トレが楽しくなるなんてことは無い。

続けて、体格が変わったり、体の調子が良くなったり、運動のパフォーマンスが良くなったり、そういった効果が表れたときに自分のしてきたことの多くを肯定しているに過ぎない。筋トレ自体が楽しくなったというのは勘違いだ。

だから、もし、学校の数学が好きになれないという人が居るのなら、それは数学が分かれば楽しくなるという類の話ではない。筋トレした後に、何をしたらいいのか分からないのが問題だからだ。自分が認識できるものが増えたとか、達成感を得る機会が無いのだ。

感動したい、快感を得たいという人にとっては地味なトレーニングはさぞつまらないことだと思う。

数学を勉強する人との差

数学は何の役に立つのかという質問に対しても答えておくと、私の回答としてはどっちでも良いとなる。

答えてないように思えることだろうが、役に立つか立たないかは大して重要な話ではないから興味が持てないのだ。

これまで述べた通り、数学はパターンの認識力をあげるための訓練だ。

そして、鍛えた認識力で研究でも金儲けでも好きにすれば良いのだ。

世の中便利な物で、金さえ払えば、たいていのサービスを受けることはできる。

高度な数学の知識が無くたって、その知識の結晶・文明の利器・サービス・情報をリーズナブルな値段で手に入れることができる。

例えるならば、数学を勉強しない人というのは目隠しをしたまま生きている人だ。

目隠しをしていたって人は生きていけるし、快感も得られる。

金さえ払えば、自分のところに食べ物を運び込んでくれる。

目隠しを外した方が、よほど出来ることは増えることを私は知っているが、別にそんなのは人それぞれだ。好きにしたらいい。

「数学なんか勉強して何の役に立つの」という質問は私にしてみれば「目隠しをしたまま生きることに何の問題があるの」という質問と同義だ。「どうでもいいです。好きにしなさい」が私の答えだ。

自分とは違う価値観を認める

出来ることが増えることに価値を感じる人もいれば、金を払って人に何かをしてもらうことに価値を感じる人もいるだろう。後者にとっては、自分でできることが増えることは苦痛だ。

何故なら、自分でできることにわざわざお金を払うのだから、これほど苦痛なことは無い。私も日々感じている。

例えば、自分で作れば1週間もかからないようなシステムを業者に発注することで100万円以上取られたりする世の中だ。これほど苦痛なことは無いだろう。

例えば、自分で作れば300円もしない料理に1000円も払って外食するのは馬鹿馬鹿しいだろう。

自分でできることが最初から少なければ、金を払うことで自分が到底できないようなサービスを受けることができる。苦痛など感じずに。

だから、これも一つの価値観だ。

もう1度、何故、数学を学ぶのか

数学を学ぶのは認識力をあげるため、ひいては出来ることを増やすための訓練の為だ。

研究でも金儲けでも人助けでも何でも好きに使えばいい。

加えて、金さえ払えば大抵のサービスを受けることはできるのだから、別にできなくてもいい。

日本語が話せて、体が動かせれば仕事は幾らでもある。働き口にも別に困ることは無い。

個人が生きていくだけなら、別にあっても無くても良い学問だ。

もっとも、人生の質には天と地ほどの差が生じるのだが。それは私には関係ない。

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